6月26日(日)14時より、(一社)市民セクター政策機構と共催でウェブセミナー「西アフリカのSSEと社会状況(セネガル ダカール市を中心に)」を開催いたしました。
講師には、明治学院大学名誉教授、国際平和研究所所長の勝俣誠氏をお招きし、セネガルでのSSE(Social Solidarity Economy = 社会的連帯経済)と社会状況についてお話いただきました。
植民地支配が影を落とす経済構造
セネガルはフランスの植民地であったため(1960年独立)、その経済構造は植民地政策に大きく規定されています。宗主国向けに原料・一次産品を生産し輸出する、いわゆるモノカルチャー型経済です。例えば、主要な産業は農業で、総雇用の30%がこれに従事しています(日本は3%)。農業といっても、生産物のほとんどを落花生が占め、全耕地面積の6割程度が落花生用の耕作地です。ただ、その処理過程は大規模に機械化・工業化されているわけではなく、農民家族による人力での作業が中心となっています。他にも、漁業が盛んで、大西洋に面した首都ダカールの港町は強烈な魚の腐臭が漂います。
経済活動においては、非貨幣的な交換や生活様式が強く残存し、賃金労働層はむしろ少数派です。助け合いや贈与のような数値化しにくい社会関係が維持されています。都市でもインフォーマル部門の雇用が9割を占め、経済単位も小規模な自家経営が基本、優れて相互扶助的といいます。反対に、いわゆる先進諸国は、工業化により製造業に従事する賃金労働者を大量に生み出し、大規模に生産を集中、すべてが貨幣のやりとりで完結できる社会・文化を発展させてきました。
21世紀は民衆の力が政治を動かす
セネガルには、独立以降も、脱植民化の苦難と、先進諸国の経済政策により振り回されてきた歴史があります。1960年から80年代初頭、経済主体の脱植民地化を目指し、アフリカ協同組合主義に基づいた上からの組織化・改革が進みます。公営企業化や農村の識字運動なども展開されました。しかし結局、上からの改革はむしろ民衆の下からの協働を潰し弾圧を強める結果となり、停滞します。その後、IMF主導の経済自由化、国家より市場を優先する新自由主義的改革期に入ります。
2000年には、ようやく独立以来初の政権交代となる大統領が誕生し、人々は大きな希望を抱きました。ところが、この大統領が権力におごり人々を裏切り続けたため、その後は国家・政府VS社会の様相を呈する動乱期に入ります。2011年、政権の独裁的な長期化を目論む憲法改悪案の発表が引き金となり、ついに民衆蜂起=ヤナマール(フランス語で“もうたくさんだ”)運動が勃発します。これは、アラブの春やウォール街の占拠など、世界的な反乱が勃発した年です。この蜂起は憲法改悪だけでなく、劣悪なインフラ環境、貧困の放置、政府の腐敗などにも抗議する大規模な蜂起に発展し、他のアフリカ諸国へも広まりました。結果、翌年には民主的な手続きで現職大統領の退場が実現します。
このように、21世紀以降、セネガルでは社会の底を流れる民衆の強烈なエネルギーが統一的な運動となった時、政治を大きく決定する力となっています。同時にそれは、西アフリカの局所的な現象ではなく、香港、ミャンマー、BLM、つい最近のスリランカでの反乱などへと連なる2011年以降の世界的な抵抗の力学と通じています。
闘争が「もう一つ」の世界を切り開く
こうした歴史的経緯の中で、「資本主義的でない社会システムを目指す」ことを現地のGSEF実行委員会は掲げています。
セミナーの中で、勝俣さんは次のような社会的連帯経済の定義をあげました。「融資、生産・再生産、交換・分配、消費・利用などにおいて、連帯関係を組み込み、経済を社会に埋め込み直す運動」「これらの連帯活動によって地域社会に「共」的な領域としてコモンズを拡大することによって、新自由主義に対する「もう一つ」の経済体制を目指すこと」。
この「もう一つ」の社会・経済=「資本主義的でない社会システム」を目指すことは、必然的に、「共」を私的に領有し、連帯関係の分断を絶えず目論む支配層と衝突せざるをえず、抵抗と闘争を生み出します。勝俣さんはその闘争こそが大切で、それなしには社会的連帯経済への道は開けないと言います。私たちもこの立場に賛同、連帯し、GSEF2023への準備を進めていく所存です
本セミナーの資料は講師のご厚意により公開いたします。下記よりダウンロードください。
また、本セミナーはYoutubeにもアップしております。参加できなかった方もこちらよりご視聴いただければ幸いです。
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